仕事に『私情』を持ち込むと・・・

どうも管理人のドングリコロコロです。

なるべく、定期的に更新していくつもりです。

(飽(あ)く迄(まで)つもりです、、)

ココロ温かい読者の方々、どうかご了承願います。

さて今回は、管理人自身の『仕事』に関しての価値観について

書いていきたいと思います。

他者の評価について

皆さんは仕事上に限って、他者を評価する際、

どのような基準で評価されるでしょうか?

本人の実績・成果、中には

例え結果が芳(かんば)しく無くとも、将来性等を考慮して、

本人の努力・やる気等も評価の対象にされる方も

おられるかもしれません。

管理人の考えとしては、仕事上の評価というのは、

誰の目線から見ても明確で、かつ平等でなければならないと

思います。

そこに、曖昧な査定基準や個人の感情などで仕事上の評価を判断してしまうと、

そこには必ず何らかの不平不満が生じ、組織としての不和が生じてしまうため、

あってはならないモノだと考えています。

例えば、社員の給料やアルバイトの時給を上げる際

理由が「あの子は頑張っているから!」という理由だけだったとしたら、

果たして納得できるでしょうか!

おそらくほとんどの人間は納得できないでしょうし、

下手をすれば『依怙贔屓(えこひいき)』とも捉えられかねません。

そのような事が組織の中で続いたとしたならば、

他の人間はバカバカしくなって辞めていくのではないでしょうか?

そこに『あの子は誰よりも早く出勤してきて、掃除をしてくれている』

『みんなは気付いていないかもしれないが、

ファイルの整理は全てあの子がやってくれている』

といった明確な理由があれば、誰もが納得できるかとも思いますが。

『お客様』に対しての評価

上記のような事は『お客様』や『取引先』に関しても言える事だと思います。

例えば、お店の店長が「あのお客様は私のお気に入りだから💛」

という理由で値引きをしたり、過剰なサービスをしたとしたら、

または、会社の上司から品質はほぼ同じ、

料金も同じ、もしくは返って割高にもかかわらず

特定の取引先を指定してきたら、

不快感を覚える事は無いでしょうか?

やはり仕事において、特定の『お客様』や『取引先』を

特別扱いするには、誰の目線から見ても明確な理由が必要だと

管理人は考えています。

例えば、

「あの『お客様』は当店の一番のお得意様で

とても良くお金を使って下さる。

だから、サービスもするし多少のワガママもきく」

「あの『取引先』はわが社と数十年の取引があり、

苦しい時代も互いに助け合ってきた経緯がある」

といった明確な理由があれば、おそらくほとんどの人が

納得できるのではないでしょうか?

まとめ

実際、管理人自身もそのような経験をしてきましたし、

またそのような失敗もしてきました。

(因みに管理人の経験では、ビジネスに私情を持ちこんだケースは、

100%良い結果には結びついていません!

言い換えれば、必ず失敗しています!!)

極端な話『社員やアルバイトは会社の【道具】』

『お客様はお金を持ってくる【財布】』ぐらい、

徹底的に私情を排除して、冷徹に物事を割り切った方が、

返って組織の運営としては不平等性が無く、

一体感が生まれ、全員が纏(まと)まるのではないでしょうか?

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

『意見』『感想』『希望のテーマ』等ございましたらお寄せ下さい。

今後の更新の参考にさせて頂きます。

『生きる意味』とは・・・

どうも、管理人のドングリコロコロです。

約半年ぶりの更新です。

この半年間、自分自身にとって、人生の節目(ふしめ)となるような

とても大きな出来事がいくつかありました。

その事について、書ける範囲内で書いていきたいと思います。

私事(わたくしごと)

私事(わたくしごと)ではありますが、今から約1年前、

家族である、実の妹が結婚しました。

妹とは、家族の中で唯一と言っていいほど仲が良く、

また、妹も自分の事を慕ってくれていたので、

頻繁に一緒に食事に行ったり、飲みに連れて言ったり、

遊びに行ったりもしていました。

そこまでは大変喜ばしい事なのですが、

その一月後、妹に病気の兆候が見られ、

医師にかかったところ、直ぐに大病院で精密検査を受ける事を

強く勧められました。

検査の結果は『ステージ4の肝臓癌』

事実上の末期癌です。

その場で『余命三カ月』と医師から告げられました。

そこで妹に対して、選択を迫られる事になりました。

一つは、残された貴重な時間を大事な人達と過ごす事。

もう一つは、治療するという僅かな希望に縋(すが)って、苦しみながら

抗癌剤治療をするという事。

自分はインターネットや本などから多少『抗がん剤』について、

知識があったので、治療に対しては真っ向から反対でした。

それよりも、妹に残された時間を少しでも一緒に過ごしたい、

というのが、自分の希望でした。

対して他の家族は、妹に対しての衝撃的な事実を受け入れる事が出来ず、

例え僅かでも助かる希望があるのであれば、抗癌剤治療をする、

という結論でした。

それが本人にとって、家族にとって耐え難い苦痛を伴う事になろうとも・・・

そして、自分と自分以外の家族や親族とは、その日を境に決別し、

それから一切顔を合わせる事なく、

今日現在も、別々の道を歩む事となりました。

三か月後、知り合い伝いに『妹が亡くなった』という事実を知りましたが、

自分はお通夜にも、葬儀にも、告別式にも参加しませんでした。

生きる意味とは・・・

そのような出来事があって、じぶんの考え方は少し変わりました。

それまでの自分というのは自分で言うのもなんですが、常に先を見据えて考え、

入念に準備をした上で行動するタイプの人間でした。

ですから、必然的にお金もある程度は残していました。

しかし、上記のような出来事があったので、

「人間はいつ、どこで、どんなカタチでその一生を終えるのか分からない!

今のように常に先を見据えて、今やりたい事を我慢するような生き方では、

もし明日、自分の一生が幕を閉じる事になった場合、

後悔が残るのではないか!」

と考えるようになり、

今まで貯めていたお金を切り崩し、モノを買ったり、

様々な経験をするために、お金と時間を使いました。

しかし、ある時思いまいた。

『こんな事を続けていても、自分のココロが満たされる事は無い!』

という事に・・・

では、どのような事で自分自身のココロは満たされるのか?

自分は何をすれば『生きる意味』を見出すことが出来るのか?

その答えを探すために様々な文献やホームページを読み漁りました。

そして、自分がたどり着いた答えは『仏教』でした。

その考えに基づくと、

『人の【死】には二種類ある』との事でした。

一つは生物学的な【死】

これは人間の肉体が生命活動を終える、という事で、

現在ー般的に【死】として用いられているのは、こちらの意味です。

そして、もう一つは精神の【死】

その考え方に基づくと、例え人間の肉体が【死】を迎え、

朽ち果て滅んだとしても、その人間の精神は永遠に生き続ける、

という事です。

どういう事かというと、【死】を迎えた人間がいたとして、

その人の事を覚えている、思い出す、または語り継ぐ事で、

その人の人物像、考え、思い、は永遠に人々のココロの中で

生き続ける、という事です。

確かに自分は生涯、妹の事を忘れる事は無いでしょう。

それは言い方を変えれば、『妹は自分のココロの中で今も生き続けている』

今現在、このブログを読んで下さっている方々、

自分の今の気持ちを共有して下さっている方々のココロの中でも、

生き続けていく、という事ではないでしょうか。

大変厚かましい解釈ですみません。

自分自身に、いつの日か必ず訪れる肉体的な【死】が訪れたとしても、

このブログを読んで下さっている皆様のココロの中で、

『自分自身の存在』というのが、生き続ける事を願って、

今回のブログを締めくくらせて頂きたいと思います。

今回は、今現在の思いの丈をぶつけただけの何のまとまりも無い文章で

大変読み見苦しかったかと存じ上げますが、

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

『意見』『感想』『希望のテーマ』等ございましたらお寄せ下さい。

『就労移行支援事業所』

どうも、当サイト管理人のドングリコロコロです。

全然、ブログの更新ができていません。

もう少し仕事に慣れてきましたら、更新のペースを上げていこうと

考えております。

さて今回は、管理人自身が通っていた『就労移行支援事業所』

について、良い点・悪い点を書いていきたいと思います。

様々なサポートを受けられる

『就労移行支援事業所』に通っていると、

『就労移行支援事業所』を運営している会社や、そのスタッフから、

就職のためのサポートはもちろんの事、日常生活や障害についての自己理解、

ストレスマネージメントやコミュニケーションプログラム、

更には障碍者手帳を取得する事によって

受けられる行政や自治体の支援についてなど、

様々な事を『就労移行支援事業所』のプログラムやスタッフを通して

サポートを受ける事が出来ます。

こういった知識やサポートというのは、就職するためだけでなく、

就職後の人生においても重要な事ですので、

知っておいて損はない事です。

特に自分自身であまり調べる事が苦手な人、

今まで、社会人経験が無い人、障害者雇用についての知識があまりない人、

にとっては、『就労移行支援事業所』のサポートというのは、

非常にありがたいモノだと思います。

色々な人達がいる

『就労移行支援事業所』には、重度の障害から軽度の障害まで、

知的障害・身体障害・精神障害など、

様々な障害を患(わずら)っておられる方が利用されており、

社会復帰のために通っておられます。

そういった方達と接する事で、今までに障害が原因でされてきた

様々な苦労や、自分自身で行ってこられた対策を

お互いに共有する事が出来ます。

『就労移行支援事業所』内ではスタッフの監視の元、

一般常識の範囲内での利用者同士のコミュニケーションを取る事は

出来るので、もし一般常識の範囲を逸脱(いつだつ)したり、

利用者同士の間で問題が発生しそうな場合は、

『就労移行支援事業所』のスタッフが間に入り、

問題が大きくなる前に対処してくれます。

謂わば、実際に就職して社会に出た際のトレーニングを

積む事が出来るわけです。

お金がかかる

一方で『就労移行支援事業所』も非営利活動つまり、ボランティア活動

ではなく、会社として運営しているので、

当然の事ながら、

『就労移行支援事業所』を利用するには、お金が発生します。

障碍者手帳の有無や、前年度の収入によっては、

『就労移行支援事業所』の利用料の一部、もしくは全額を

地方自治体が負担してくれますが、

『就労移行支援事業所』を利用している間の生活費は、

自分自身で確保しなくては行けません。

因みに管理人の場合、雇用保険で生活費を賄(まかな)うつもりでしたが、

結局それだけでは足らず、今までの預貯金を足しにしました。

『就労移行支援事業所』を利用する場合、

最低でも一年間の不労所得、つまり働かなくても

生活していけるだけの収入を確保しておいた方がいいかと思います。

時間がかかる

上述の通り、『就労移行支援事業所』も会社です。

つまり、利用者にある程度の期間、

『就労移行支援事業所』利用してもらわないと、

会社として運営していく事は出来ません。

ですから、『就労移行支援事業所』を利用する際は、

最低でも一年間は

利用するつもりでいた方がいいです。

また、就職先から内定を頂いた際も、

『就労移行支援事業所』を利用していなければ、

本人と会社の二者間の合意さえあれば、直ぐに実際に就職する事が出来ますが、

『就労移行支援事業所』を利用している場合、

本人と会社の合意以外に『就労移行支援事業所』が間に入る事になるので、

就職内定後も様々な手続きのために、

最低でも一月(ひとつき)はかかってしまいます。

まとめ

管理人の場合、『就労移行支援事業所』に通っている時間を利用して、

今までの自分自身の半生を振り返る事が出来た、

という点では『就労移行支援事業所』を利用して良かったと思います。

しかし、『就労移行支援事業所』内のプログラムでも、

自分自身で既に調べて知っている事が多く

また、障害が比較的軽度であったため、

『就労移行支援事業所』を利用すると、

時間がかかってしまうという点では、

『就労移行支援事業所』を利用して100%、良い事ばかりでは

無かったと考えています。

もしこれから『就労移行支援事業所』を利用するかどうか

考察中の方は、よく考えた上で決められた方がいいかと思います。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

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今後の更新の参考にさせて頂きます。

『環境』の選択

どうも、当サイト管理人のドングリコロコロです。

少し、更新に間隔があいてしまい、申し訳ございません。

Twitterでは報告したのですが、

この度(たび)、障碍者雇用枠で就職が決まり、

少し生活環境の変化に慣れるまで、肉体的にも精神的にも

疲れがなかなか取れないので、更新が不定期になるかと思います。

環境に身体が慣れてきたら、また定期的に更新していきたいと思っています。

さて、報告はこのくらいにして、今回は周囲の『環境』の選択について、

書いていきたいと思います。

『環境』の選択

人間は周囲のさまざまな『環境』に影響を受けながら、

成長していきます。

人間が生きていく上で、周囲の人間との『人間関係』が避けられない以上、

周囲の人間の『環境』から、何らかの影響を受ける事は避けては通れません。

幼い頃は、周囲の『環境』を選択する事は、両親に委ねられ

自分自身で『環境』を選択する事は、ほぼ不可能です。

つまり、自分の生まれ育った両親の元、

『家庭環境』、『地域環境』、『学校環境』、

の影響を受けて、成長していく事になります。

しかしながら、ある程度成長して大人になると、

たとえ、両親や兄弟であろうとも、

いつまでも自分自身の周囲の『環境』の選択を、

自分以外の人間に委ね続けるわけにはいきません。

ただ単に自分以外の誰かから、与えられた『環境』の中で、

過ごしているのではなく、

周囲の『環境』に自分自身が影響を受けずにはいられない以上、

自分自身の周囲の『環境』は自分自身で選択していかないと、

本人の人間的な成長は無い!

と管理人は考えています。

本人に合った『環境』

人間にはそれぞれの『個性』というモノがあり、

人それぞれ千差万別です。

たとえ、多くの人達から、

「良い人たちばかりで、理想的な『環境』!」

と勧められたとしても、

本人には、適さない『環境』である可能性も無きにしも非(あら)ず、

という事が言えます。

その逆も然(しか)り、

たとえ、多くの人達から、

「あのような『環境』だけはやめておいた方がいい!」

と、選択を制止されたとしても、

以外と本人には適している、という可能性もあり得ます。

周囲の人間の意見というモノは、

その人が自らの経験から学んだ知識から判断された、

『環境』を選択する上で、大変貴重な判断材料である事には、

間違いありません。

しかし、先ほども述べた通り、自分自身の『環境』の選択は、

たとえ、他の人に何と言われようと、

最終的には自分自身で選択し、決定するべき、

そして、自分自身の事は他人の責任にするのではなく、

自分自身が責任を取るべき、

そのように管理人は考えています。

理想的な『環境』

本人にとって理想的な『環境』とは、一体どのような『環境』なのでしょうか?

『何の苦労も無く、ある程度の報酬が約束され、毎日、楽に暮らす事できる』

一見誰もが理想的に思うような『環境』ですが、

果たして本当にそうでしょうか?

「自分自身が楽だと思う『環境』に、自分自身が得るモノは無い!」

ただ毎日がしんどくて、つらいだけの『環境』に身を置いていたとしても、

本人にとって、得るモノがあったとしても、

その代わりに失うモノの方がはるかに大きい事でしょう。

しかし、それは自分自身が楽だと思う『環境』においても、

同じ事が言えると思います。

本人が楽だと思うような環境に、果たして

本人の技術的、仕事的、更(さら)には人間的に成長できるような

課題は存在するのでしょうか?

幸せな『環境』

「人間は本人が望む『環境』にその身を置くよりも、

本人が望まれる『環境』にその身を置いた方が幸せになれる。」

確かにこの言葉に間違いはないと思います。

しかし、たとえいくら周囲から望まれていた『環境』だとしても、

本人が望まない『環境』であったとするなら、

それは本人にとって幸せな『環境』であるとは言えないと、

管理人は考えています。

まとめ

何度も言うように人間は周囲の『環境』で。良くも悪くも変わっていきます。

現在の【自分自身】ではなく、未来の【自分自身】を考えて、

現在の自分自身が身を置く『環境』を選択する事が出来たなら、

自分自身が理想とする未来に近づくことが出来る事でしょう・・・。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

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今後の更新の参考にさせて頂きます。

『グルメサイト』の不正

どうも、当サイト管理人のドングリコロコロです。

昨日、『グルメサイト』に不正の疑いがあり、

公正取引委員会の審査が入ったというニュースがありました。

その事について管理人なりの見解を書いていきたいと思います。

飲食店の顧客の目的

まず最初にそもそも『グルメサイト』とは、

一体どのようなモノなのでしょうか。

管理人の認識としては『グルメサイト』とは、

ある飲食店を実際に利用した顧客が、『グルメサイト』に

実際に利用した際の評価をしたり、感想を書き込んだりして、

飲食店を評価する、という仕組みです。

つまり、飲食店を利用した、大多数の顧客によって成り立っており、

その大多数の顧客の評価によって飲食店をランク付けする、というモノです。

そういった『グルメサイト』のおかげで、旅行先や忘年会等の場合、

これから顧客が今まで行ったことがない飲食店を選ぶ際、

『グルメサイト』は一つの、大変便利な基準となるワケです。

運営側の目的

一方で『グルメサイト』を運営する側の目的は、

顧客側とは異なり、飲食店に『グルメサイト』の利用価値を示す事で

利用契約を結び、利益を上げる事にあります。

つまり、運営側は飲食店が、

実際にお金を払ってくれる顧客となるワケです。

そして、『グルメサイト』を運営する側は、

顧客である飲食店により多くの、より高額の利用契約を結んでもらうため

飲食店が『グルメサイト』運営側と利用契約を結んだ際の、

具体的な成果を示す必要性がないといけません。

眼に見える形での成果が無ければ、飲食店側はお金を払ってまで、

『グルメサイト』の利用契約を結ぼうとは思わないでしょう。

管理人は、飲食店の顧客の目的と、

『グルメサイト』の運営側の目的の違いが、

正に今回の『グルメサイト』の不正の原因ではないか!?

と考えています。 

『グルメサイト』の利用価値

『グルメサイト』の利用価値は、それぞれの立場によって変わってきます。

まず、飲食店を利用する側が求める、

『グルメサイト』の利用価値は正当で正直な、飲食店の評価と感想です。

プラスの高評価だけでなく、たとえマイナスの低評価であっても

その評価や感想が飲食店を利用した際の、正直な感想であれば、

これから利用する飲食店を、『グルメサイト』を用いて選ぶ側としては、

知っておきたい貴重な情報です。

次に『グルメサイト』の運営側の利用価値ですが、

上記の通り、『グルメサイト』を用いて飲食店と有料契約を結び、

利益を上げる事です。

最後に『グルメサイト』の飲食店側の利用価値ですが

『グルメサイト』での評価を上げる事で、

顧客を増やす事にあります。

モラルと公平性

実際のところ、『グルメサイト』のそれぞれの利用価値の相違から、

『グルメサイト』自体の、モラルと公平性が保たれなかった事が、

この『グルメサイト』の不正の背景にあるかと思います。

飲食店を利用する側は、自らの態度が原因で、

飲食店側に迷惑をかけたにもかかわらず、

飲食店側から注意を受けた腹いせに、『グルメサイト』に

低評価をしたり、

『グルメサイト』の運営側は、有料契約の飲食店とそうでない飲食店との間で、

『グルメサイト』の評価を不正に操作していたり、

飲食店側は、従業員やアルバイトの知り合いを用いて

不正に特定の飲食店を高評価していたりと、

それぞれがモラルと公平性に書く行為を取っていたそうです。

こうなるともはや『グルメサイト』の信憑(しんぴょう)性が無くなってしまい、

誰も『グルメサイト』を信用しなくなってしまい、

『グルメサイト』の存在価値が疑われかねません。

まとめ

それぞれの立場でそれぞれの目的があるため、

この『グルメサイト』の問題は非常に難しいと

管理人は考えています。

この問題がどのようなカタチで解決が図られるのか、

見守っていきたいと思います。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

意見、感想、『希望のテーマ』等ございましたらお寄せ下さい。

今後の更新の参考にさせて頂きます。

  

物事は『考え方』次第!

どうも、管理人のドングリコロコロです。

さて、今回は物事は『考え方』によって変わってくる、

という事について書いていきたいと思います。

具体例を挙げると、有名な話では『コップに半分の水』です。

「半分しか入っていない!」 とマイナスに考えるのか、

「半分も入っている!」とプラスに考えるのか、

たとえ同じ状態でも『考え方』次第で物事はいくらでも変わってきます。

いつも叱られている人

例えば、仕事場でいつも上司から叱られている人がいたとします。

その事について、皆さんの『考え方』はどのようなモノでしょうか?

仕事が出来ないから、上司からいつも叱られている、

といった具合にマイナスに捉えるのか、

それとも、上司から期待されていて、

常に高いレベルを求められているから叱られている、

といった具合にプラスに捉えるのか、

人それぞれ『考え方』が違い、それによって捉え方も変わってきます。

管理人の考え方としては、会社に入りたての新入社員の頃は、

ハッキリ言って叱られて当たり前だと思います。

様々な事に挑戦して、失敗を重ねていく中で会社や社会のルールを学んで、

成長していくものだと考えています。

明らかに自分が仕事で失敗の原因を作っているのに、

上司からなにも叱られなかった場合、逆に不気味だったりします。

人というのはある程度の年齢を重ねてきたり、

組織から離れて生活するようになると、

本人がミスをしたとしても、叱られるという事は、ほとんどありません。

そんな時に、叱ってくれる人というのは本当の意味で、

本人の事を考えてくれている人だと思うので、

これから先もその人との人間関係を大事にしていくべきだと思います。

悪いのは誰が原因?

例えば、皆さんが職場で何度同じ事を教えても、失敗を繰り返す

仕事が出来ない部下がいたとします。

そんな時、皆さんはどのような『考え方』をするでしょうか?

「あの部下はダメだ。仕事に対しての意気込みが感じられない。」

と、悪いのはその部下に原因があるのだ、という『考え方』をするのか、

その結果、そのやる気のない部下は会社を去り、

別の新しい部下が来たとします。

その部下も以前の部下同様、何度同じ事を教えても、仕事が出来ません。

そうなると、教えても仕事が出来ないのは部下に原因がある、

という『考え方』自体が間違っていて、ひょっとしたら

仕事を教える側に原因があるという『考え方』も出来ないでしょうか?

管理人が今まで見てきた中で、上司や部下といった周りの人から

信頼されていた人は、ほとんどの場合、自分自身に厳しく、

職場の部署内でミスが見つかった時は、真っ先に自分自身に原因が無いか

という事を考える人でした。

逆に 職場の部署内でミスが見つかった時 、

真っ先に自分以外の他の人に原因や責任をなすり付けるような人を

果たして、信頼できるでしょうか?

常に自分自身に厳しく、良い出来事も悪い出来事も、

周りの人達の原因ではなく、自分自身に原因があるという『考え方』でないと

人からは信頼されないと思います。

障害の有無

『障害が原因で、普通の人がしないような苦労をしてきた。

しかし、普通の人がするような苦労をしていない。』

この言葉に対して、皆さんはどのような『考え方』をされるのでしょうか?

多くの『障碍者』の方々は、管理人自身も含め、障害を持って生まれた事で、

『障害』が原因で、一般的に普通の人と呼ばれている『健常者』の方々よりも

多くの苦労をしてきたのかもしれません。

しかし、この世の中に苦労をしないで生きていける人なんて、

存在しようハズがありません。

『障碍者』には『障碍者』なりの苦労や悩みがあり、

『健常者』には『健常者』なりの苦労や悩みがあるのではないでしょうか?

ですから管理人の『考え方』としては『障害が原因』ではなく『障害のおかげ』

と考えるようにしています。

確かに『障害が原因』で様々な苦労をしてきたと思います。

しかし、どれだけ頑張ったところで障害を持って生まれてきたという

『障碍者』であるという事実は変えられません。

ですから、『障害のおかげ』で分かった事もたくさんありますし、

『健常者』には分からない喜びもあります。

このような『考え方』の方がいいと考えています。

まとめ

物事を常にマイナスの『考え方』をする人には、

人から同情されて、哀れんでもらえたとしても、

人は集まってこないと思います。

物事を常にプラスの『考え方』をする人には、

その考え方に賛同するような明るい人たちが

集まってくるかと思います。

同じような事柄でも『考え方』次第でプラスにもマイナスにも

捉える事ができます。

本人の気の持ちようで『考え方』というのは変わってきます。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

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今後の更新の参考にさせて頂きます。

『異業種』の経営者

どうも、管理人のドングリコロコロです。

今回は『異業種』の経営者とは、どのようなモノなのか?

管理人の経験を元に書いていきたいと思います。

空気を読まない!

『異業種』の経営者というのは、実際に経営する業種の就労経験が無いため、

とにかく、空気を読みません!

その職業柄、一番忙しい時期や時間帯に、突然現れて、

「気になったから!」という理由で、オフィスの模様替えをし出したり、

そうかとかと思えば、「商談が入った!」などといって、

自分の途中までやっていた仕事を、ほったらかして

外に出かけたりします。

以上のような現場の空気を読まない行動が、たまにではなく、

頻繁(ひんぱん)にあるので、『異業種』の経営者には、

現場は、とにかく振り回されます。

『常識』や『慣習』に捕らわれない

『異業種』の経営者には、自分が経営している職種の就労経験が無いため、

その職種の 『常識』や『慣習』 というモノが一切通じません。

つまり、その職種では誰もが経験上、当たり前とされている

暗黙のルールが、一切通用しないのです。

このような場合、いくら話し合いをしても、話は平行線のままで、

永遠に経営者と現場の、会話がかみ合う事はありません。

ですが、従来の『常識』や『慣習』に捕らわれないため、

職種の経験者では、とても思いつかないような、

画期的で斬新なアイデアを、時には発案するというメリットもあります。

『数字』が最優先!

『経営』というのは、事業で利益を出して黒字を出す事で初めて成り立ちます。

ですから、『経験者』というのは、数字に対して神経をとがらせているのは

当たり前の話っです。

ですが、『異業種』の経営者というのは、数字に対して指摘する点が

的外れの事が多いのです。

現場の安全確認や仕事の前準備のための、労働時間に対して、

「この時間帯は、収益が上がって無いのだから

削ることは出来ないの?」

と言ってきたり、

安全上、資格を持っていないと扱ってはいけない機械の解体を

「業者に頼むとお金がかかるから、自分達で何とかして!」

などと職業柄、常識では考えられないような規格外の要求を

時に突き付けてきたりします。

まとめ

以前もブログでまとめた事がありますが

『経営者はワガママ!』な事は確かです。

ですから『経営者』の意向にそぐわない人間は『経営者』からすると

不要な人間なワケです。

しかし、『経営者のワガママ』に度が過ぎると、

誰も賛同する人間がいなくなってしまう事もまた事実です。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

意見、感想、『希望のテーマ』等ございましたらお寄せ下さい。

今後の更新の参考にさせて頂きます。

『熱中』しすぎると・・・

どうも、管理人のドングリコロコロです。

人が仕事やスポーツに『熱中』している姿を見るのは、

悪いモノでは無く、時に美談として語られる事もあります。

しかし 、度を越してあまりに『熱中』し過ぎたり・

『熱中』する対象によっては、悲惨な結果を招く事にも成りかねません。

今回はそんな『熱中』について、管理人の考えを書いていきたいと思います。

過度に『熱中』し過ぎると・・・

人は何かに『熱中』する生き物です。

冒頭でも述べた通り、人が何かに『熱中』している姿を見るのは、

良いモノで、当事者が他のすべてを投げ打って、

一つの物事に『熱中』し続け、長年の夢である目標を達成した時の物語など、

見る人に感動すら与えます。

しかし、一般的に人はなぜ、そのような事柄に心動かされるのでしょうか!?

なぜならそれは、多くの人達がその物語の当事者のように、

他の全てを捨て去ってまで、一つの物事に『熱中』出来ない、

もしくは、 一つの物事に『熱中』し続けたとしても、

長年の夢である目標を達成する事が出来ないのです。

人々が心動かされるような、感動的な物語というのは、

常識的に考えたら、あり得ないような奇跡のような希少性があるからこそ、

人はその物語に心動かされ、感動するのだと

管理人は考えています。

どこにでもあるような、当たり前の平凡な物語には、

ほとんどの人は、心動かされることなどなく、

感動などしようハズがありません!

一つの、

他の全てを投げ打ってまで『熱中』し続けて、

長年の夢である目標を達成したという物語の影には、

多くの、

他の全てを捨て去ることが出来なかった、

もしくは、

他の全てを投げ打ってまで『熱中』し続けたとしても、

目標を達成できずに、夢破れた数え切れないほどの物語が

ある事を、人々は認知しているからこそ、

長年の夢である目標を達成したという、

物語に心動かされ感動するのではないでしょうか!?

『熱中』する対象

他の全てを投げ打ってまで、

『熱中』する対象が、スポーツ競技や格闘技、

人類や国の発展に寄与するような研究開発、

ロマンのあるような秘境探検や山の登頂でしたら、

感動的な物語に、成り得る可能性も秘めている事でしょう。

しかし、他の全てを投げ打ってまで、『熱中』する対象が、

美少女や美青年のアイドルであったり、

飲み屋さんのホステスやホスト、

競馬やパチンコなどのギャンブル、

アニメのキャラクターや声優だとしたら、

もはや、感動的な物語に、成り得る可能性など微塵(みじん)も無く、

誰が見ても、悲惨な結末は見て取れます。

一般的に人には、それまでの人生で積み上げてきた、

実績や社会的地位、家庭や家族がある事でしょう。

それら全てを投げ打ってまで『熱中』する価値があるのか?

既に上記のようなモノに『熱中』してしまい、

周りが見えなくなって、

人の忠告にも耳を傾ける事ができなくなってしまった人には、

もはや、何を言っても手遅れです・・・。

まとめ

物事には限度というモノがあります。

ほとんどの人は、たとえ何かに『熱中』したとしても、

その限度を超えてしまう前に、踏みとどまる事ができます。

常識の枠内で何かに『熱中』するのは、

そんなに悪い事ではありません。

普段の仕事でたまったストレスを解消するために、気分転換のために、

仕事終わりや休日にイベントやコンサート、趣味に『熱中』するのは、

むしろ良い事でしょう。

周りの人々が、常軌を逸脱するまでに『熱中』していると判断される前に、

いま一度考え直してみてはどうでしょうか?

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

意見、感想、『希望のテーマ』等ございましたらお寄せ下さい。

今後の更新の参考にさせて頂きます。

『独り勝ち』をしていると・・

どうも、管理人のドングリコロコロです。

さて今回は、『独り勝ち』について書いていきたいと思います。

『独り勝ち』とは・・・

ところで皆さんは、『独り勝ち』について、

どのようなイメージをお持ちでしょうか?

一般的に『独り勝ち』とは、スポーツ競技やイベント行事が

行われた際に、多くの参加者の中で、

唯一、一人だけが勝ち残り、勝利の栄冠や用意された賞品を

独占する事です。

一度だけなら、いざ知らず常に『独り勝ち』を続けていると、

いずれは他の参加者や、主催者から反感を買う事にもなり兼ねません。

それが、資本主義経済の中での社会で『独り勝ち』を続けていると、

やはり同じように競争相手である同業他社や、

消費者である一般の人達からも反感を買う事になってしまい、

いずれは『独占禁止法』に抵触してしまう事になって

処罰の対象となってしまう事でしょう。

日本社会の場合

「景気が良い時は、商売で儲(もう)けた利益を分け合って、

みんなが良い思いをすればいい。

景気が悪い時は、商売で失った損益を補(おぎな)い合って、

みんなでしんどい思いをして乗り切ればいい。」

この言葉は昔、管理人が勤めている時に

取引先の会社の方がおっしゃられていた言葉です。

同時にその方は次のようにもおっしゃられておられました。

「自分の会社が好調な時は、

不調な仕入れ先や取引先に多少無理をしてでも、

良いように取り計らうようにしています。

仕入れ先や取引先を一切、気にする事なく、

自分の会社だけが『独り勝ち』をしていると、

いざ自分の会社が不調になった時

仕入れ先や取引先は一切手を差し伸べてくれなくなってしまいます。」

日本の社会の場合、昔から地域性や社会性が強いので、

『独り勝ち』という文化はあまりないように思います。

まとめ

世の中というのは『因果応報』で自分のやってきた行い、というモノは

良い行いも悪い行いも含めて、いずれ自分に返ってきます。

長い人生で良い時もあれば、必ず悪い時もあります。

調子が良い時に、周りに対して良い行いをしておかなければ、

いざ、調子が悪くなった時、誰からも助けてもらえない、

という事にも成り兼ねません。

やはり『独り勝ち』というのは、あまり良くないように思えます。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

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社会というのは持ちつ持たれつで、